歴史で紐解くJAの「?」

JAの歴史

JAの歴史は長く、起源をたどると江戸時代にまでさかのぼると言われています。
JAの長く深い歴史から、JAの「?」を紐解いてみましょう!

登場人物

学生

食や農に興味がある、
JA初心者

笑味ちゃん

いつも明るく、食べること
が大好きな女の子

(JAグループ公式キャラクター)

01

JAと農協の違いについて

学生
Q.

JA農協って
何が違うの?

笑味ちゃん
A.

「JA」、「農協」どちらも「農業協同組合」の略称なんだ!
「JA」と呼ばれるようになったのは平成4年からで、意外と最近のことなんだよ!

ロゴの歴史

現在のJAは「農業会」を改組して1947年に誕生しました。制定された農協マークは、稲穂と「農」「協」を組み合わせたデザインでした。その後、1992年にコーポレートアイデンティティとして「JA(ジェイエー)」の愛称とJAマークが導入されました。JAは「Japan Agricuitural Cooperatives(農業協同組合)」の頭文字をとった愛称です。

02

協同組合について

学生
Q.

協同組合って、
どうして誕生したの?

笑味ちゃん
A.

協同組合は社会的に弱い立場にある人々が、自分たちの暮らしを自分たちの手で守るために誕生したんだよ!

世界初の協同組合『ロッチデール
公正先駆者組合』の誕生

協同組合の歴史は19世紀のイギリスにさかのぼります。イギリスでは世界に先駆けて産業革命がおこり、経済が飛躍的に発展しました。一方で、工場で働く人々は、低賃金・長時間労働、分量・品質をごまかす売人や悪徳高利貸しの横行などにより日々の暮らしを圧迫されていました。
こうした状況の中で、30人近くの労働者たちが集まって出資金を出し合い、自分たちの暮らしを守るために必要な生活物資を共同で調達して分けあう仕組み(共同購入)をつくりました。これが、世界初の協同組合であるロッチデール公正先駆者組合です。ここでの運営ルールは、世界各国の協同組合の運営原則である「協同組合原則」に受け継がれています。

JAの起源といわれる『報徳社』の
誕生

日本においても19世紀(江戸時代後期)に、二宮尊徳(二宮金次郎)により、JAの起源といわれる『報徳社』が創設されました。農村における相互救済組織として、組合員から貯金を預かり、それらを原資として、資金を必要とする組合員への貸し付けや土木・水利などの公共的な事業などを行いました。
この事業が現在の信用事業につながっています。

03

総合事業について

学生
Q.

JAはなぜ複数の事業
展開しているの?

笑味ちゃん
A.

組合員の暮らし全面的にを支えるため、営農だけでなく、暮らしに関わる様々な事業を展開しているんだよ!

産業組合と世界大恐慌

JAの前身である産業組合の設立が進むなか、1929(昭和4)年に世界大恐慌が発生し、日本の経済、特に農村経済は貧窮の状態に陥りました。こうした事態から農村を守るため、1933(昭和8)年に政府が産業組合の強化を図り、その一環として4種事業(信用・販売・購買・利用)兼営を進めました。これにより、産業組合は組合員を営農面で支えるだけでなく、金融サービスなど通じて組合員の暮らしを支える役割も果たすようになりました。この4種兼営が現在のJAの総合事業につながっています。

04

准組合員について

学生
Q.

JAは農業のイメージが
強いけれど、農家でない人
(准組合員)
JAの事業を利用できるのはなぜ?

笑味ちゃん
A.

JAの前身組織である産業組合の時代から、農家以外の地域住民にも広く利用されていて、地域のライフラインとして農家でない人々からも必要とされていたことから准組合員制度ができたんだ!

准組合員制度の誕生

JAの前身組織である産業組合の時代から、組合の事業は農家以外の地域住民にも広く利用されていました。JAが発足した1940年代に、組合員を農業者に限定することも検討されましたが、組合の事業が地域に根付き、非農家の多くがJAの事業を必要としていたことから、政府は非農家を准組合員として位置付け、引き続き事業利用の対象としました。

地域社会への貢献

1995年、協同組合原則(協同組合がその特性を発揮するため、世界共通で持つ基本的な考え方やルール)において、協同組合は住みよい地域社会の実現に向けて積極的な役割を果たすことが初めて示されました。
この世界的な地域協同組合化の流れを汲み、JAにおいても、1997年にJAの目指す方向を示す指針であるJA綱領に地域に貢献していく旨を反映し、地域協同組合化の方向を正式に宣言しました。

05

組合員組織について

学生
Q.

組合員組織って
なに?

笑味ちゃん
A.

共通の目的を持った組合員が集まり自主的に活動する組織で、生産者部会や女性部など、組合員の属性ごとに様々な組合員組織があるんだ!

生産者部会誕生の歴史

1960年代、日本は高度経済成長を迎え、都市部の人口が増加するとともに、食生活が多様化しました。これにより、米だけでなく、野菜・果物・畜産物の需要が急増しました。しかし、個々の農家がバラバラに生産・販売を行うだけでは、市場のニーズに対応できませんでした。このため、JAが主導して、品目ごとの生産者が協力し、計画的に生産・出荷を行う仕組みが求められるようになりました。この流れの中で、生産者が集まり栽培技術を学ぶ場作り、市場に安定供給するための共同出荷体制、品質を統一しブランド力を高める取り組みといった活動が各地で始まり、やがて品目ごとの「生産者部会」として組織化されていきました。

女性部誕生の歴史

1950年代、農村部では「生活改善運動」が全国的に広がりました。これは、戦後の貧しい生活環境を改善し、農村女性の生活の質を向上させることを目的とする運動で、衛生的な台所の整備、食生活の改善、女性の学習機会の拡大に取り組んでいました。このような活動の中で、農村の女性たちは「仲間と協力しながら学び、生活を改善することの重要性」を実感し、地域ごとに女性の集まりが生まれるようになりました。この動きが、後の女性部の組織化につながる大きな契機となりました。
その後も、都市化、過疎化、高齢化、環境問題、家庭・社会生活の変化などに対応した活動を行っています。

06

産直について

学生
Q.

産直ってなに?

笑味ちゃん
A.

地元の新鮮な農畜産物を地元のみなさまに味わってもらうため、生産者が農畜産物を消費者に直接お届けする場なんだ!

産直の発祥は愛知県!?
産直誕生の歴史

昭和61年10月、旧三河一宮農協(現JAひまわり)女性部が100円市を会員50名で開設しました。生産者が採れたての農畜産物を自ら直接販売する場であり、消費者にとっては、新鮮で値ごろな農産物を購入できる、生産者にとっては消費者の声を直接聞くことができ、やりがいにつながるといった直売所ならではの魅力によって、次第に地域に認められることとなりました。
この100円市は、今や全国各地で運営されている産直の発祥とも言われています。

※「農業協同組合」の愛称は時代ごとに異なりますが、このページでは「JA」に統一して表記しております。

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